
『南総里見八犬伝』は9輯98巻106冊からなる。下に掲げるように第9輯が全体の半数以上を占めるという異様な構成になっている。これは馬琴が陰陽思想における陽の極数である9にこだわったためである。
肇輯5冊の刊行は文化11年(1814年)。曲亭馬琴はすでに『椿説弓張月』(文化3年/1806年~)、『俊寛僧都島物語』(文化5年/1808年)などを上梓しており、読本作家としての名声を築いていた。
28年間に版元は3回変わった。第5輯までの25冊を山青堂(山崎平八)が出版し、山青堂から版木を譲られた涌泉堂(美濃屋甚三郎)が第6輯を刊行した。しかし涌泉堂は資金繰りに困り、第7輯刊行には文渓堂(丁子屋平兵衛)の助力を得ている。その後、経営に行き詰った涌泉堂が『八犬伝』の版木を上方の版元に売り渡す事態を起こしているが、文渓堂がこれらの版木を買い戻している。第8輯以降、文渓堂が『八犬伝』の刊行を続けて完成に至るとともに、肇輯から第7輯に関しても刷り出している。
執筆中、馬琴は天保4年(1833年)頃から右目の視力が衰え、やがて視力を失った。9年(1838年)には左目の視力も衰えはじめ、11年(1840年)11月には執筆が不可能になった。やむを得ず、息子の嫁の路(土岐村路)に口述筆記させて執筆を続けた。天保12年(1841年)8月20日、馬琴は本編を完成させた。