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嘉吉元年(1441年)、結城合戦で敗れ安房に落ち延びた里見義実は、滝田城主神余(じんよ)光弘を謀殺した逆臣山下定包(さだかね)を、神余旧臣・金碗(かなまり)八郎の協力を得て討つ。義実は定包の妻玉梓(たまずさ)の助命を一度は口にするが、八郎に諌められてその言葉を翻す。玉梓は「里見の子孫を畜生道に落とし、煩悩の犬にしてやる」と呪詛の言葉を残して斬首された。

時はくだり長禄元年(1457年)、里見領の飢饉に乗じて隣領館山の安西景連が攻めてきた。落城を目前にした義実は飼犬の八房(やつふさ)に「景連の首を取ってきたら娘の伏姫(ふせひめ)を与える」と戯れを言う。はたして八房は景連の首を持参して戻って来た。八房は他の褒美に目もくれず、義実にあくまでも約束の履行を求め、伏姫は君主が言葉を翻すことの不可を説き、八房を伴って富山(とやま)に入った。

富山で伏姫は読経の日々を過ごし、八房に肉体の交わりを許さなかった。翌年、伏姫は山中で出会った仙童から、八房が玉梓の呪詛を負っていたこと、読経の功徳によりその怨念は解消されたものの、八房の気を受けて種子を宿したことが告げられる。懐妊を恥じた伏姫は、折りしも富山に入った金碗大輔(八郎の子)・里見義実の前で割腹し、胎内に犬の子がないことを証した。その傷口から流れ出た白気は姫の数珠を空中に運び、仁義八行の文字が記された八つの大玉を飛散させる。義実は後を追い自害しようとした大輔を留め、大輔は僧体となって、『犬』という字を崩し丶大(ちゅだい)を名乗り、八方に散った玉を求める旅に出るのだった。

 

Written by 管理者

館山市健康課スタッフ

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